
宮崎大好きなりんごです♪
宮崎に長く住んでいると、「宮崎の偉人」と言われる人の名前を耳にすることもありますよね。でも、正直なところ、私が岩切章太郎さんのことをちゃんと知ったのは、つい最近のことだったんです。
彼の名前を初めて聞いたとき、「岩切章太郎さんって、どんな人なの?」と思いました。
調べてみると、この方こそが宮崎の観光業を飛躍的に発展させた立役者だったんです。
岩切章太郎さんは、宮崎を「新婚旅行の聖地」として全国に広めた方。今では鹿児島や沖縄が新婚旅行のイメージが強いけれど、昭和の時代、多くの新婚夫婦が訪れたのは宮崎でした。なぜかというと、岩切さんのアイデアと情熱があったからなんです。
彼は、まだ観光地として未開拓だった宮崎の美しさに目をつけ、「宮崎こそ日本のハワイだ!」と考えました。そして、青島や日南海岸の美しさを全国にアピールし、観光開発を進めたんです。さらには、観光客を迎えるためのホテルや交通手段の整備にも尽力されました。
特に「フェニックス・シーガイア・リゾート」の前身となる観光開発は、彼の大きな功績のひとつ。宮崎の温暖な気候とヤシの木が並ぶ風景を活かして、南国情緒あふれるリゾート地として発展させたんです。
そして何よりも彼のすごいところは、「宮崎を日本一の観光地にしたい!」という強い信念を持ち続けたこと。時には批判を受けることもあったでしょうし、うまくいかないこともあったはず。でも彼は諦めずに挑戦し続けました。だからこそ、宮崎はかつて「新婚旅行のメッカ」と呼ばれるほどの人気を誇る観光地になったんですね。
今、改めて宮崎の街を歩いてみると、彼の功績を感じることができます。
岩切章太郎さんの功績
1. 青島・日南海岸の観光開発
青島神社や鬼の洗濯板で知られる青島を全国にアピールし、ホテルや観光施設を整備しました。また、日南海岸を「日本のハワイ」としてブランド化し、多くの新婚旅行客を呼び込みました。
2. 宮崎市フェニックス・シーガイア・リゾートの基盤整備
シーガイアの前身となる観光開発を行い、宮崎をリゾート地として発展させる礎を築きました。宮崎のヤシ並木や南国らしい景観づくりも、彼のアイデアが活かされています。
3. えびの高原の観光振興
えびの高原は、標高約1,200mに位置し、霧島連山の美しい景観や温泉、四季折々の自然が楽しめる場所です。
岩切さんは、この素晴らしい自然を活かし、観光地としての魅力を高めるために、宿泊施設や交通インフラの整備 に尽力しました。えびの高原が観光地として定着するきっかけを作ったのも彼の功績の一つです。
4. 高千穂観光の発展
高千穂峡や天岩戸神社など、神話のふるさととしての魅力をPRし、宮崎の観光地として全国的に知られるようにしました。

5. 小林市周辺の観光開発
小林市や生駒高原の観光資源にも注目し、宮崎県内の観光スポットの拡充を推進しました。

岩切章太郎さんの名言
「夢なき者に成功なし」
これは、彼が宮崎を観光地として発展させるために、数々の困難を乗り越えてきた信念を表す言葉です。何事も夢を持ち、それを実現させるために努力し続けなければ成功は得られない、という彼の生き方そのものですね。
また、彼はこんな言葉も残しています。
「宮崎を世界に誇れる観光地にする」
これは、彼が宮崎を「日本のハワイ」として全国にPRし、多くの観光客を呼び込もうとした想いが込められた言葉です。
観光地としての宮崎の基盤を作り、今の私たちに豊かな観光資源を残してくれた岩切章太郎さん。宮崎に住んでいるなら、一度はその偉業に触れてみるのもいいかもしれません。
岩切章太郎さんの著書
『観光立県への道』(1967年)
宮崎を日本有数の観光地へと成長させるためのビジョンや施策について書かれた本です。当時の宮崎観光の現状と今後の展望が詳しく述べられています。
『大地に絵を描く』(1976年)
この本は、岩切章太郎さんが宮崎の観光開発に取り組む中での構想やビジョン、信念について綴ったものです。タイトルの「大地に絵を描く」は、まさに彼の都市開発や観光振興の理念を象徴しており、宮崎を理想の観光地にするために情熱を注いだ姿勢が伝わります。
『風雪八十年』(1980年)
自伝的な内容で、彼の生涯や観光開発への情熱が詳細に描かれています。宮崎を「日本のハワイ」として発展させるまでの苦労や信念が伝わる一冊です。
『続 大地に絵を描く』(1983年)
『大地に絵を描く』の続編で、宮崎の観光振興に関するさらなる取り組みや、彼の人生哲学が語られています。観光事業を推進するにあたり直面した課題や、その乗り越え方についても触れられています。
おまけ
岩切章太郎記念館(宮崎観光ホテル内):彼の業績を学ぶことができる展示があり、当時の写真や資料が見られます。
まとめ
この宮崎の美しい景色を最大限に引き出してくださった方がいたなんて。
生まれてから当たり前にあった観光地。
知らなかった宮崎の歴史を知ることで、もっとこの街が好きになる。そんなきっかけをくれた岩切章太郎さんに、心からの感謝を込めて。